柳 宗理
日本のプロダクト・デザインのすばらしさを世界に伝えたパイオニア

YANAGI SORI

長い間多くの人々に愛されている人気雑貨のブランドストーリーを紹介するこのコーナー。今月は、日本を代表するプロダクト・デザイナー、柳宗理の登場です。

Study1

柳宗理キッチンウエア開発のパートナーの証言
佐藤商事
商品開発推進役
古俣之宏さん


佐藤商事にて、1989年のケトル開発を皮切りに14年にわたって柳番を務めた人。「ふだんの柳さんは気さくな好々爺ですよ」
現在お店で見かける柳宗理のキッチンウエアのほとんどは「佐藤商事」という販売会社が、新潟県の「日本洋食器」というメーカーとともに作っています。その佐藤商事の柳担当として、長く柳宗理の物作りを間近に見てきたのが、雑貨部の古俣さん。通常、企画から商品開発までの日数は数カ月。それが柳宗理の場合は1〜2年もかかっていたそうです。
「柳さんは、使い勝手の検証をとことんやられるかたでした。納得されるまで試作品の作り直しが続くため、コストとのたたかいが頭の痛いところでした。しかし、その徹底した物作りへのこだわりが、メーカーの技術力を上げることにもなりました。現在の柳ブームは、柳さんの商品が時を超えて通用する、本物のデザインであることを証明していますね」

Study2

日本民藝館に柳デザインのルーツがある!?
現在、柳宗理が館長を務める日本民藝館は、宗理の父で、民藝運動の父でもある柳宗悦が1936年に設立した美術館。日本全国から集めた家具や染織、陶磁器など、普通の暮らしで使われていた工芸品1万7000点を収蔵。それらのデザインの美しさに、柳デザインのルーツを感じます。
東京都目黒区駒場4-3-33
tel 03・3467・4527
開館時間:10時〜17時(入館は16時30分まで) 休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始、陳列替えのための臨時休館あり(年4回)
入館料:1000円
※京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩5分

Study3

柳宗理が装丁する雑誌「民藝」をチェック
民藝とは「民衆的工藝」の略です。宗悦は、民衆の暮らしから生まれた手仕事文化を守り育てることこそが、生活を豊かにする、と唱えました。その精神を伝えるのがこの雑誌。民藝に関するテキストや優れた民藝品が毎号掲載され、写真セレクトと装丁を宗理が担当しています。
「民藝」は、宗理が名誉会長を務める日本民藝協会から毎月3000部発行されています。A5判の小さな雑誌ながら、毎号充実したデザインの特集が組まれています。写真は、右から、1978年に宗理が初めて装丁をした号、宗悦の特集号、宗理の特集号。1部850円、右の2冊は完売。申し込みは日本民藝協会(tel 03・3467・5911)へ。

Study4

柳のすべてがわかる「柳ショップ」
JR四ツ谷駅から市ケ谷方向に向かって徒歩5分。小さな路地を入った一角に、昭和の風情を残した古い建物があります。その1階、事務所のようなドアをあけると、四畳半もない小さなスペースに柳プロダクトが所狭しと展示されています。オープンしてから約20年。柳デザインのキッチンウエアはもちろん、中井窯シリーズのやきものやテキスタイル、おもちゃなど、手に入りにくい品も豊富に揃っています。また、什器としても使われている、オープン棚やカラフルなシェルフ、三角スツールなどの家具類は一見の価値あり。セロハンテープも年季の入った柳のテープカッターに収まっているという徹底ぶり。宗理の著作も販売していて、柳ファンなら一度は訪れたい場所です。

東京都新宿区本塩町8 エーデルホーフビル1F
tel 03・3359・9721
営業時間:土・日・祝日を除く月〜金曜 10時〜18時(ただし来店は水〜金曜 13時〜17時30分の間に)
※JR四ツ谷駅から徒歩5分。唯一の柳宗理直営店。宗理プロダクト商品のほとんどが手に入る。

日本の手仕事文化とモダンデザインを融合

 バタフライ・スツールや黒柄スプーンなど、すぐれたデザイン製品で、世界中のインテリア・雑貨ファンを夢中にさせている柳宗理さん。民衆の暮らしのなかの手仕事に美を見いだした「民藝運動」の提唱者、柳宗悦の長男として1915年、東京・原宿に生まれます。自宅には、父の仲間である文学者や芸術家がしょっちゅう出入りし、日本文学や西洋美術に囲まれた環境で育ちました。
 19才のとき、東京芸大の前身である東京美術学校の油絵科に入学。父親への反発から、最初は前衛芸術に傾倒していました。そんななか、大学の講義で、芸術と技術の統合をめざしたことで現代デザインの原点ともいわれる「バウハウス」の思想を知り、大衝撃を受けます。さらに、フランス人建築家ル・コルビュジエの「装飾のないところに真の装飾がある」ことを述べた本を読み、自分の進むべき方向を見いだします。
 ちょうど大学を卒業したころ、コルビュジエのチームスタッフであるシャルロット・ペリアンが政府の招きで来日します。宗理は彼女のアシスタントに抜擢され、彼女といっしょに日本全国を視察しました。この旅のなかで、現代デザインの最先端にいるペリアンが評価するものが、宗理の反発していた「民藝」にあることに気づきます。このことが、宗理のその後のデザイン哲学を決定づけることになりました。
 第二次大戦が始まると、一時フィリピンに従軍しますが、終戦とともに帰国、工業デザインの研究を始めます。1952年に、「レコードプレーヤー」で第1回新日本デザインコンクールで優勝し、「柳工業デザイン研究会」を設立。2年後には、現在も最も人気のある柳の代表作「バタフライ・スツール」と「エレファント・チェア」を発表します。1957年に、熊本県の伝統工芸である高浜焼を使った「白磁土瓶」とともに、イタリアのデザインフェスタ「ミラノ・トリエンナーレ」に出品。柳の作品群は見事金賞を獲得します。「バタフライ・スツール」は、その後、ニューヨーク近代美術館やルーブル美術館はじめ、世界中の美術館のパーマネント・コレクションに選定され、柳宗理の名をますます世界的にしました。
 その後も、生活雑貨だけでなく、車やおもちゃから、高速道路や地下鉄のホームといった公共施設のデザインまで、日本を代表するプロダクト・デザイナーのひとりとして、さまざまな分野で活躍。昨今のミッドセンチュリー・ブームの影響で、柳宗理を知らない若い世代からも新しい支持を受け、88才の今なお現役のデザイナーとして八面六臂の活躍をしています。

文/秋山リコ 撮影/山根千絵、澤崎信孝