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柳 宗理 |
| 日本のプロダクト・デザインのすばらしさを世界に伝えたパイオニア |
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日本の手仕事文化とモダンデザインを融合 |
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| バタフライ・スツールや黒柄スプーンなど、すぐれたデザイン製品で、世界中のインテリア・雑貨ファンを夢中にさせている柳宗理さん。民衆の暮らしのなかの手仕事に美を見いだした「民藝運動」の提唱者、柳宗悦の長男として1915年、東京・原宿に生まれます。自宅には、父の仲間である文学者や芸術家がしょっちゅう出入りし、日本文学や西洋美術に囲まれた環境で育ちました。 19才のとき、東京芸大の前身である東京美術学校の油絵科に入学。父親への反発から、最初は前衛芸術に傾倒していました。そんななか、大学の講義で、芸術と技術の統合をめざしたことで現代デザインの原点ともいわれる「バウハウス」の思想を知り、大衝撃を受けます。さらに、フランス人建築家ル・コルビュジエの「装飾のないところに真の装飾がある」ことを述べた本を読み、自分の進むべき方向を見いだします。 ちょうど大学を卒業したころ、コルビュジエのチームスタッフであるシャルロット・ペリアンが政府の招きで来日します。宗理は彼女のアシスタントに抜擢され、彼女といっしょに日本全国を視察しました。この旅のなかで、現代デザインの最先端にいるペリアンが評価するものが、宗理の反発していた「民藝」にあることに気づきます。このことが、宗理のその後のデザイン哲学を決定づけることになりました。 第二次大戦が始まると、一時フィリピンに従軍しますが、終戦とともに帰国、工業デザインの研究を始めます。1952年に、「レコードプレーヤー」で第1回新日本デザインコンクールで優勝し、「柳工業デザイン研究会」を設立。2年後には、現在も最も人気のある柳の代表作「バタフライ・スツール」と「エレファント・チェア」を発表します。1957年に、熊本県の伝統工芸である高浜焼を使った「白磁土瓶」とともに、イタリアのデザインフェスタ「ミラノ・トリエンナーレ」に出品。柳の作品群は見事金賞を獲得します。「バタフライ・スツール」は、その後、ニューヨーク近代美術館やルーブル美術館はじめ、世界中の美術館のパーマネント・コレクションに選定され、柳宗理の名をますます世界的にしました。 その後も、生活雑貨だけでなく、車やおもちゃから、高速道路や地下鉄のホームといった公共施設のデザインまで、日本を代表するプロダクト・デザイナーのひとりとして、さまざまな分野で活躍。昨今のミッドセンチュリー・ブームの影響で、柳宗理を知らない若い世代からも新しい支持を受け、88才の今なお現役のデザイナーとして八面六臂の活躍をしています。 文/秋山リコ 撮影/山根千絵、澤崎信孝 |
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